namapology

1971年生まれの関東在住ナマポの生活と生活保護に関する主張

なぜナマポの支援者まで無料低額宿泊所と呼ぶのか

確かに"本当の"無料低額宿泊所はある。でも少数だ。

ほとんどが無料でも低額でもない高額宿泊所だ。

私の場合、毎月9万数千円を払っていた。

 

食事は朝夕の2回。

宿泊所全体の掃除は入居者の仕事。食堂や玄関などの共用スペースもすべて。その割には管理費が高すぎ。

さらに食事の準備の手伝いも一週間の手伝い当番が、1ヶ月半に1回のペースで回ってくる。

光熱費もベラボウに高かった。少なくとも2人家族の光熱費よりも高額だった。

 

6畳のスペースをベニア板で区切った3畳もないスペースでの相部屋だった。これで住宅扶助上限の家賃設定。

窓は一つしかない。空調も一つ。エアコンも一つ。
だから、当然照明のON/OFFとエアコンの設定温度で、トラブルが起きる。

 

私は、ギャンブル狂で酒乱の70歳近いジジイとの相部屋だった。

このジジイは夏場は冷房の設定温度を24度にしていた。だから入居してしばらくは凍えるような思いで生活していた。
さすがに我慢できず、話し合って26度にしてもらった。これでも十分寒いのだけど。

どんだけ暑がりなんだと思ってたら、このジジイは部屋にいるとき上下の厚手のスウェットを着ていた。意味がわからなかった。

明かりも21時の消灯時間の5分前なのに、「早く消せ」と一方的に怒り出す。
話し合って、21時ちょうどに私が明かりを消す、ということにしていたのに。

とにかくこのジジイといくら話し合って、その時は分かり合っても、一ヶ月もしないうちに、そのジジイは一方的に破る。

宿泊所のルールでお酒に酔っている状態で宿泊所に入ることは禁止されてた。
しかし、このジジイは毎週土日に行く競艇で勝つと、必ず居酒屋で酒を飲み酔っ払って帰ってくる。
注意しても、「俺が酒を飲むのを誰にも止めさせねえぞ!」と怒り出す。「酔っ払って帰ってくることは禁止」と書かれた張り紙の前で。

競艇で負けてお金がなくなり、毎日一箱吸っていたタバコが吸えなくなると、一週間後に突然ものすごい剣幕で怒り出した、何の理由もなく。
その夜は恐怖のあまり一睡もできなかった。
入り口は厚手のカーテンのようなもので、鍵もないから、夜中寝ている時に、踏み込まれたら逃げ場がないから。

 

その翌日だ。私が精神科を受診することを決めたのは。
精神科で処方された睡眠薬を飲むと何とか3時間は眠れるようになった。

 

そして同時に、生活保護者の支援をしている団体にメールを送り、アパートへの転宅について相談した。
その時、「ホームレスが宿泊所を一時的な居所としてる場合、積極的にアパートへの転宅支援をするように」という通達が厚労省から出ていることを教えてもらった。

 

でも、結局、ケースワーカーに申請しても、精神科医に「引っ越さないと死ぬ」と診断されない限り、転宅は認めないと却下された。

最終的には共産党の市議会議員の力を借りて、引越だけは認めてもらったことは以前のpostで書いた通りだ。
お金は一切でない自費での引越し。

 

その高額宿泊所は、働かない人のためのルールになっていた。
だから働いている人達は働かない人達に気を遣いながら生活していた。
なぜか働かない人の方が偉そうにしていた。

 

だから高額宿泊所で生活しながら自立することは難しい。

 

それなのに福祉事務所は管理が楽だから、アパートに転宅したいとお願いしても許可してくれない。

普通一人一人を家庭訪問しないといけないはずなのに、その高額宿泊所の場合、1人の部屋だけ見たら全員の家庭訪問をしたことになっていた。
宿泊所の担当ケースワーカーは3人もいたのに。
だから各地域の担当ケースワーカーはすべて3人で一チームなのかと思ったら、今住んでる所は一人。他の地域よりもナマポ率が高い地域なのに。

管理が楽だから、法外な入居費でも黙認するのだろう。
書類の配布や収集も宿泊所がやってくれるから。

 

でも入居者への支援は何もしてくれない。その高額な入居費にナマポ支援の費用も含まれてるのに。

 

私が入居していたのは、日本で最大の宿泊所運営NPO法人の一つだった。しかも良心的と言われてる方の。
そこでこの実態なのだから、ほとんどの宿泊所はこのレベルかそれよりも酷いと思っていいだろう。

 

それなのに、何故、ナマポの支援者まで無料低額宿泊所なんて言葉を使うんですか!マスコミも、役所も、政治家も!